| 昭和24年 |
11月下旬県内各高等学校の野球部長有志が盛岡市で会合をもち「岩手
県高等学校野球連盟」の結成を決定。規約等を審議。事務局を盛岡商 業高校に置くことを決定する。夏の選手権大会奥羽大会の決勝は黒沢尻高と盛岡高の本県同志の対戦
となり、2−3で勝利した盛岡高校が甲子園に出場した。 |
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| 昭和25年 |
「岩手県高等学校野球連盟」発足。 初代会長に小圷洋氏(盛一)、理事長に松嶋真蔵氏(盛岡三)の両氏を選出。加盟27校。 この年から高等学校の野球大会の運営は県連盟が行うこととなる。 夏の全国高等学校野球選手権岩手予選の会場を盛岡市に固定することを決定。
春季大会から地区予選も実施され、順調にスタートした。水沢が降雨のため
に花巻に会場を移したが尚、降雨がつづき、ついに中止となった。 夏は群を抜く強さを誇る盛岡高校が県大会、奥羽大会を制し、連続の甲子園 出場を飾る。
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| 昭和26年 |
青森市で行なわれた第33回全国高等学校野球選手権大会奥羽予選大会決勝で、本県代表の盛岡一高が青森高と対戦。延長24回(4時間06分)に及ぶ熱闘を
くりひろげた末に1−0で惜敗したが奥羽大会の球史に残る一戦であった。 |
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| 昭和27年 |
会長に樋口佐平氏が就任。 第34回全国高等学校野球選手権奥羽予選大会が盛岡市で開催され、盛岡商業が優勝。 10月、仙台市で行なわれた第7回国民体育大会硬式野球競技で夏の全国大会優勝校、芦屋高校を0−4で破り盛岡商業が優勝
。 |
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| 昭和28年 |
第35回全国高等学校野球選手権岩手県予選で盛岡一高が優勝。遠野高校と共
に奥羽大会に出場。夏の大会4日目の試合、盛工対盛商の試合は延長17回
(延々5時間)に及ぶ死闘となる。その後の試台が日没にかかり途中で中止された。 軟式野球で釜石高校が国体に出場。観音高、松商学園を破り、決勝で早実に敗れたが準優勝に輝く。
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| 昭和29年 |
第7回東北六県秋季高校野球大会が盛岡市で開催され、一関一高が優勝。 この年は一関一高が春秋の県大会を制覇した。 |
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| 昭和30年 |
第27回選抜高校野球大会に一関一高が出場(東北から初出場)。兵庫県立尼崎高校と対戦し5−0で敗れる。 3月19日から神宮球場で開催された第9回日本学生野球協会結成記念大会に秋季東北大会準優勝校の盛岡商業が出場。3−0で荏原に敗れた。 第37回全国高校野球選手権奥羽予選が盛岡で行なわれ、岩手高校が優勝、全国大会に出場し、法政二高に3―0で勝利。 東京六大学の公式審判員が来盛。模範を示し、審判技術の向上をはかった。 |
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| 昭和31年 |
会長に桐野 薫氏が就任。高野連事務局を盛岡工業高校に移転する夏の選手
権大会では盛岡一高が黒沢尻工を8−3で下し優勝。奥羽大会では黒沢尻工がよく健闘したが準決勝でハ戸に敗れた。 秋には黒沢尻工が優勝、東北大会でも準決勝に進んだ。 この年の加盟校は、硬式39校、軟式11校であった。 |
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| 昭和32年 |
第11回日本学生野球協会結成記念大会に黒沢尻工業が出場。 第39回全国高等学校野球選手権奥羽予選では岩手大会の準優勝校、黒沢尻工業が優勝し全国大会に出場したが宿舎で選手が腹痛をおこして心配された。対大阪代表の寝屋川高戦で善戦むなしく3−1で敗退。
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| 昭和33年 |
理事長に小林正行氏が就任 野球部長の表彰を始める。 第30回全国選抜高校野球大会に遠野高校が出場。 第40回の夏の選手権大会は記念大会のため各県一校の出場となり、本県代表として福岡高校が出場したが紀和代表の海南高校に14−1で敗れた。 第3回軟式全国大会に黒沢尻工業が出場。
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| 昭和34年 |
全国高等学校野球選手権大会の二次予選地区が岩手・青森の2県となり、「北奥羽大会」という大会名称となる。 岩手・青森の優勝校が代表決定戦を盛岡で行ない、宮古高校が八戸高校を破り全国大会に出場した。 |
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昭和35年 (1960年) |
7月、会長の桐野 薫氏が岩手県教育委員となる。 夏の選手権北奥羽大会は岩手・青森両県各2校づつ出場することとなり県予選の決勝戦は行なわれず。宮古と一関一の両校が北奥羽大会に出場し共に惜敗。 第13回東北六県秋季高校野球大会が10月釜石市において開催され、岩手県から宮古高、北上商高、釜石工高の3校が出場。
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| 昭和36年 |
会長に加藤駿二氏が就任。第15回日本学生野球協会結成記念大会に宮古商業が出場。土浦高に4−2で
勝ち、準決勝戦で富山商に5−4と惜敗。 第43回全国高校野球選手権北奥羽大会では福岡高校が優勝して全国大会に出場。釧路江南に7−6で勝利、準々決勝戦、桐蔭高校(この年の準優勝校)に5−0で敗れる。その試合で県勢チームが初のナイター試合を経験。 県内の大会では、盛高校、花泉高校をはじめ新勢力の台頭が目立った。
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| 昭和37年 |
第34回全国選抜高校野球大会に宮古高校が出場。松山商に延長15回の末に4
−3で惜敗。 6月、第9回東北六県春季高校野球大会が盛岡で開催されたが、降雨のため に準決勝以後の試合を中止した |
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| 昭和38年 |
初代事務局長に鈴木和夫氏が就任、事務局規定が新設された。 夏の選手権大会は、45回の記念大会のため各県一枚の代表であり、花巻北高が出場する。開会式で花巻北高の小原千秋主将が選手宣誓を行った。
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| 昭和39年 |
事務局長に佐々木淳夫氏就任 第46回全国高等学校野球選手権大会に花巻商業高校が初出場。玉龍高を3−
1で下し、2回戦の高知商(その年優勝)に3−2と惜敗。花巻商の阿部投手は大会随一と賞讃された。 |
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| 昭和40年 |
第47回全国高等学校野球選手権北奥羽大会に一戸高校、水沢一高が出場。 第18回東北六県春季高等学校野球大会が盛岡で開催され、盛岡商業が福島商を7−5で破り優勝。 軟式野球で盛岡商が国体に出場。大沢野工を3x−1で下し準決勝戦で新津高に3−1で敗れた。 大会入場料を一般 100円、学生 20円とした。 |
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| 昭和41年 |
会長に鈴木重徳氏、理事長に佐々木淳夫氏、事務局長に藤原 博氏が就任。 第38回全国選抜高校野球大会に盛岡商業が出場、兵庫育英と対戦し6−2で惜敗。 第48回全国高校野球選手権北奥羽大会で花巻北高が3−2で久慈高を破って代表となり、全国大会に出場したが平安高に9−0で敗退。 学生の入場料を30円とする。 |
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| 昭和42年 |
会長に菅原成徳氏が就任。 第49回全国高等学校野球選手権県予選では盛岡三高が名将村田栄三監督の指導の下、初の代表となり、久慈高と共に北奥羽大会に出場する。東奥義塾4−0盛岡三、八戸工業2−0久慈。 軟式野球選手権大会では黒沢尻工業が奥羽大会を制し全国大会に出場、決勝で静岡商業を1―0で下し優勝を飾る。更に国体にも出場して準々決勝まで進んだ。 |
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| 昭和43年 |
岩手県高野連の役員が高等学校の関係者だけで構成される。 会 長 菅 原 成 徳 氏 副会長 松 嶋 真 蔵 氏 副会長 小野寺 忠 男 氏 副会長 寺 田 尭 郎 氏 理事長 佐々木 淳 夫 氏 事務局長 菊 池 滋 夫 氏 夏の選手権岩手大会の地区予選を県内8地区で開始。第50回全国高等学校野球選手権大会は記念大会であり一県一校の代表となり、盛岡一高が出場、準
々決勝まで進み興南高に10−4で敗れる。盛岡一高は福井国体にも選ばれ、2回戦で松山商業に1−0と惜敗する。 軟式高校野球選手権大会に出場した花巻商業は早実を3−0で下し、準々決勝戦で下関に4−2で敗れる。 登録料3000円をこの年から徴収したもよう。
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| 昭和44年 |
副会長に目時隆太郎氏就任。 連盟創立20周年を記念して夏の選手権大会の開会式において審判員を表彰する。 第51回全国高等学校野球選手権岩手大会では一関工業と一関商工の一関勢が代表となり、北奥羽大会に出場したが共に初戦で惜敗する 軟式野球全国大会に花巻商業が出場し、準々決勝まで進み渋川工業に1−0
で敗れる。花巻商業は国体にも選ばれた。 入場料を一般150円、学生50円とする。加盟校 硬式64校、軟式16校 |
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昭和45年 (1970年) |
副会長に太田原
正氏が就任。 事務局校である盛岡工業が市内上田から都南村の現在の地に移転、岩手高野連創立20周年を記念して記念誌を発刊する。 国民体育大会が岩手県で開催され、盛岡商業が出場、2回戦の大分商業戦において、延長10回の末2−1で敗れる 軟式野球全国大会に出場した住田は準決勝まで進み、国体にも出場する。
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| 昭和46年 |
副会長に高橋貞男氏、理事長に山田陸奥夫氏、事務局長に大向正剛氏が就任。 第53回全国高校野球選手権大会に花巻北高が出場したが12−
0で玉龍高に敗
れる。 12月、岩手県高校野球選抜チームが日本高野連の派遣としてフィリピンに遠征する。 団 長 佐 伯 達 夫 日本高野連会長 副団長
菅 原 成 徳 岩手県高野連会長 副団長
泉 英 昭 毎日新聞社事業部 随行役員 山 田 陸奥夫 岩手県高野連理事長 随行役員 及 川 晋 一 岩手県高野連顧問 監 督 丸 一 次 雄 岩手県高野連常任理事 主 将 階 光 男 盛岡三 副主将
佐 藤 嘉 明 黒沢尻工業 投 手 芦 口 武 志(久慈2年)菊 池 宗 司(花北2年) 菊 池 光 政(黒工1年)畠 山 司(専北1年) 捕 手 千 葉 英 一(関一1年)松 本 幸 憲(釜北1年) 内野手
佐々木 茂 明(花北2年)佐 藤 嘉 明(黒工2年)
小 山 圭 三(専北2年)岩 見 和 也(大工2年) 寺 崎 恒 男(釜南2年) 外野手
階 光 男(盛三2年)藤 原 悦 郎(修紅2年)
伊 東 友 行(宮商2年)小野寺 芳 男(大東2年) 試合結果 5戦全勝 第1試合 12月28日 対ブランカ高校選抜 1−13 岩手選抜 第2試合 12月29日 対フィリピン商科大学 1−12 岩手選抜 第3試合 1月 1日 対アラネタ大学 0− 5 岩手選抜 第4試合 1月 2日 対カローカン高校選抜 2−10 岩手選抜 第5試合 1月 2日 対カンルーパン高校 1−15 岩手選抜 関東以北の地から初めての海外派遣であった。翌47年からの海外遠征は春の選抜野球大会の優勝校となった。 第44回選抜高校野球大会に専大北上が出場。 1−0で花園高に勝って2回戦
に進んだが4−1で日大三高に惜敗。 軟式の全国大会に出場した釜石南は2回戦へ進み、国体にも選ばれた。 |
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| 昭和47年 |
第54回全国高等学校野球選手権大会県予選で宮古水産、宮古高の宮古勢が県代
表となる。青森市で行なわれた北奥羽大会で宮古水産が、弘前実業、弘前高を連破して優勝する。全国大会では苫小牧工に5−0で敗れる。 硬式加盟校73校、軟式18校。 |
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| 昭和48年 |
第55回全国高校野球選手権記念大会に盛岡三高が初出場。 初戦で八代東を延長11回の末1−0で破り、2回戦の藤沢商も1−0で破る快挙をみせ、甲子園に「さわやか旋風」を巻き起こした。3回戦の高知商戦では延長14回に及ぶ熱闘を展開し、2−1で惜しくも敗れる。「63歳の青春」と評された。名将村田栄三監督の好采配が光った。
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| 昭和49 |
会長に関口勝利氏、副会長に小林正行氏、同じく阿部巌氏、事務局長に奈良憲光氏が就任。 岩手県から毎年1校が全国高校野球選手権大会に出場することが決まる。初の岩手県単独代表校として一関商工が出場、開会式直後の試合で平安高と対戦し
9−1で敗れる。 |
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| 昭和50年 |
県北地区を福岡と久慈に分けて、全県を8つの地区とする。チームカの強化を
めざして、招待試合を始め4月27日東海大相模来盛。 盛岡一 1−7 東海大相模 高 田 0−11 東海大相模 春秋県大会への代表校が8校から14校にふえる。
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| 昭和51年 |
会長に渡辺文正氏が就任。 第58回全国高校野球選手権大会に花北商が初出場。 第21回全国軟式優勝野球大会に西和賀が奥羽代表として出場。準決勝戦まで進み静岡商業に1−0で惜しくも敗れた。
しかし、国体でも銚子商、平安の強豪を連破して決勝まで進み、準優勝に輝く。 秋季東北大会で準決勝に進んだ盛岡工業が選抜補欠校となる。 |
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| 昭和52年 |
第59回全国高校野球選手権大会に黒沢尻工が出場、鹿児島商工を3−1で破り
2回戦まで進む。 夏に続き春の全国選抜野球大会にも黒沢尻工が出場したが箕島高校に1−0と惜敗する。 |
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| 昭和53年 |
会長に瀧澤功氏、副会長に赤坂純雄氏が就任。 第60回全国高校野球選手権記念大会には盛岡一高が出場、初戦の報徳学園に7
−0で敗れる。 この年から全国高等学校野球選手権大会の出場枠数が49校となり、登録選手も1名増の15名となった。岩手大会では76校が出場。紫波町営球場を初めて使用
した。秋季県大会では紫波が初優勝を飾る。 加盟金及登録料を2000円値上げして、それぞれ3000円とする。一般の入場料を150円から200円とした。
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| 昭和54年 |
第61回全国高校野球選手権大会に久慈高が初出場。浜田高と対戦したが12−3で敗退。 岩手大会4日目、雨の中で3時間25分に及ぶ死闘をくりひろげた住田−福岡の泥まみれの好試合はさまざまな話題をよんだ。 秋季東北大会で準決勝に進んだ福岡が選抜補欠校となる。 入場料を改定して、一般300円、高校生100円、小中生50円とする。 |
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昭和55年 (1980年) |
副会長に菊池武氏、鈴木和夫氏が就任。 岩手県高野連創立30周年記念行事として石井連蔵氏による野球講習会を実施。7月8日に記念式典を行い、記念誌「熱球」を発刊。 第62回全国高校野球選手権大会には福岡が出場、1回戦で大分商業に4−2で敗れる。 |
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| 昭和56年 |
会長に小原房之助氏、副会長に千田玄氏、理事長に奈良憲光氏、事務局長に目時敏照の各氏が就任。 第13回日米親善高校野球試合が盛岡で行なわれ、ハワイチームが来盛。オール岩手(盛岡選抜)が対戦し2−0で敗れたが大いに国際親善を深めた。 第63回の全国高校野球選手権大会には盛岡工業が初出場、この大会の優勝校報徳学園と対戦し9−0で敗れる。 日本高野連の氷見一雄事務局長の来盛により、岩手高野連野球指導者講習会が実施された。
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| 昭和57年 |
春季県大会の出場校14チームヘ夏の選手権岩手大会の地区予選に参加せずに県大会への出場権を与えた。 第64回全国高校野球選手権大会は県営球場が改修工事のため盛岡市営及紫波町営の両球場で行なわれた。盛岡工業が二年連続の優勝を飾り、全国大会に出場
したが福井商業に4−2で惜敗。 入場料を一般400円、学生200円、小中生を100円とする。 |
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| 昭和58年 |
副会長に沼田晃氏、千葉條助氏が就任。 東北新幹線の開通に伴ない、第1回岩手埼玉交流高校野球試合が行なわれ、大船渡と盛岡工の2校が西武球場での試合に出場。 第65回の全国高校野球選手権岩手大会は大改修なった県営球場を中心に雫石、
紫波、市営の4会場で行なわれた。全国大会には黒沢尻工が出場2−0で佐世保工に敗れた。 第36回秋季東北大会が盛岡市で開催、大船渡が初優勝を飾る。
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| 昭和59年 |
会長に木皿欣一氏が就任。 第56回全国選抜高校野球大会に大船渡が出場。多々良学園を4−0、日大三島を8−1、明徳義塾を1−0と下し、準決勝まですすみ、岩倉に1−2で惜敗。
大船渡の四番、鈴木嘉正選手が2本のホームランを打つ。第66回全国高校野球選手権岩手大会においても大船渡が優勝。春の選抜に続いて甲子園へ出場。 |
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| 昭和60年 |
副会長に小田島清二氏、千葉宣夫氏、事務局長に中里四志雄氏、監事に石本良司氏、梅津公人氏、下村邦雄の各氏が就任。 第67回全国高校野球選手権大会では福岡が10度目の甲子園出場を果たす。初戦
の佐賀商戦6−4で惜敗。 一般入場料を500円とする。 |
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| 昭和61年 |
副会長に千葉豊氏、監事に佐竹良吾氏が就任。 夏の選手権岩手大会を3年に1度、予選なしで全チームの参加で開催することとなる。 第68回大会はその最初の年のため、加盟83校が県大会に出場、一関商工が盛岡一を5−4で下し、2度目の全国大会出場を果たす。
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| 昭和62年 |
理事長に渡辺興一氏、監事に鈴木寛氏が就任。顧問として長沢常人氏、山田
陸奥夫氏が選出された。 日韓親善高校野球試合が盛岡で行なわれ2−0で岩手チームが勝利した。 |
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| 昭和63年 |
副会長に佐竹良吾氏、小田久雄氏、監事に伊東義一氏が就任。 夏の全国高校野球選手権岩手大会は第70回の記念大会を期して地区予選を全廃する。 全国大会には高田が初出場、初戦の滝川第二との試合が雨中戦となり、
8回裏2死、降雨によるコールドゲームとなり9−3で涙をのむ。
降雨コールドは実に56年振りの出来事であった。 秋季県大会への出場校を7校ふやして21校とする。遠野高校宮守分校が加盟し、加盟88校となる。
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平成元年 (1990年) |
会長に石本良司氏、副会長こ昆野昭氏、監事に中浜清輝氏が就任。 春季県大会の出場枠数を14校から21校に拡大。 第71回全国高校野球選手権岩手大会では盛岡三が優勝、2度目の甲子園出場を果たす。 秋季東北大会が盛岡で開催され、盛岡工業がベスト4へ進出。
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| 平成2年 |
会長に戸羽親雄氏事務局長に花井裕一氏が就任。 7月6日岩手県高野連創立40周年記念式典を行い、記念講演会、
祝賀会を開催する。記念誌「熱球U」を発行。 第72回全国高校野球選手権岩手大会では花巻東が優勝し、
2度目の甲子園出場を果たす。 岩手大会中は降雨に悩まされ、4日間の日程延長となり、設定した準決勝戦前日の休養日も取ることができず。準々決勝の麻生一関対一関商工の試合は延長18回2−2の引き分けとなり翌日再試合を行うも、またしても4−4のまま延長となり、12回6−4で麻生一関がからくも勝利する。熱闘30イニングに及ぶ大一番であった。 秋季東北大会において一関商工がベスト4に進出。第63回の選抜大会補欠校に選ばれた。 岩泉田野畑分校の軟式から硬式への登録替により、硬式加盟校89校、
軟式11校となる。 |
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| 平成3年 |
会長に千葉仁氏、副会長に遠藤弘氏、伊東義一氏、石川景三氏、
監事に東久氏、浪岡真雄の各氏が就任。 春季東北大会で一関商工が準優勝。 第73回全国高校野球選手権岩手大会の抽選方法を準フリー方式とし、
球場検討委員会を設置する。
大会では専大北上が初優勝し、全国大会において村野工業を3−2で下し2回戦へ進んだ。 秋季東北大会で宮古が準優勝。6月、花巻で東北地区審判講習会が実施され、日本高野連審判規則委員の三宅、相沢、桂の三氏の指導を受ける。 花巻南が新規加盟し、硬式加盟校90校となる。
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| 平成4年 |
副会長に岩淵 守氏、理事長に小川隆弘が就任。 軽米を久慈地区から福岡地区に地区替をする。 第64回全国選抜高校野球大会に出場した宮古は星陵と対戦し強打者松井に2本のホームランを打たれ9−3で敗退する。春季東北大会、軟式奥羽大会が本県会場で行なわれた。 春日部共栄を迎えて招待試合を遠野球場で行なう。 第74回全国高校野球選手権岩手大会の決勝戦一関商工対専大北上は決勝戦初の延長戦となる。
10回5−4で一関商工が優勝。全国大会の1回戦、山口鴻城に5−1と 勝利し2回戦の神港学園に11−4で敗れた。 |
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| 平成5年 |
副会長に高橋司氏、監事に橋本毅一氏が就任。 第75回全国高等学校野球選手権大会は記念大会。開会式において初代理事長、故松嶋真蔵氏を顕彰。 大会キャッチフレーズを公募、
「白球のもと75たびの夏に輝け岩手の球児」 (福岡高校 大瀧美苗さんの作品)が入選、表彰する。 |
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| 平成6年 |
副会長に本間良樹氏、松尾昭明氏、監事に菊池定一氏、事務局長に
千葉春夫の各氏が就任。 岩手県高野連の努力目標として「パワーベースボール」を掲げる。夏の選手権大会抽選会の会場を教育会館から都南文化会館に変更。 第76回全国高等学校野球選手権大会では盛岡四高が初優勝、全国大会でも2回戦に進んだ。故藤原良二審判長の功績を顕彰。 秋季県大会の準決勝と決勝を同日に行わず、分離して日程を5日間に伸ばした。日本高野連の田名部裕和事務局長、東大の平野裕一監督を講師に迎え、
指導者研修会を花巻で実施。 登録料を10000円に値上げし、選手権大会の参加料10000円を徴収する。 |
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| 平成7年 |
会長に村上正男氏、副会長に佐藤 基氏、理事長に中里四志雄氏が就任。 日米親善試合が盛岡で行なわれ、岩手代表の専大北上が対アメリカ選抜チームに善戦、10対10で引き分ける。
日本高野連から牧野直隆会長と田名部裕和事務局長が来盛。 第77回全国高等学校野球選手権大会では盛岡大附属が初優勝。 秋の東北大会が岩手で行なわれ、決勝に進んだ釜石南が第68回全国選抜高校野球大会に出場した。春季県大会の日程も5日間とした。
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| 平成8年 |
副会長に菅原新氏、監事に多田正夫氏が就任。 秋季県大会の出場校を1校ふやし22校とする。
秋季東北大会への出場校が各県3校づつとなったことに伴ない、 第三位決定戦を実施。 夏の選手権岩手大会では盛岡大附が2連覇を飾る。 |
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| 平成9年 |
会長に高橋馨氏、副会長に蒲生知久平氏、監事に熊谷守の各氏が就任。 福岡支部の名称を二戸支部と変更。大会参加規定の一部が改正され、副部長(コーチ)及記録員のベンチ入りが認められた。
ボール、ストライクのコール順の変更、タイムの回数制限が実施された。 第79回選手権岩手大会の会場の一つを盛岡市営球場から滝沢村総合運動公園野球場に変更した。
この大会で、専大北上が6年振り2度目の優勝を飾り、全国大会では地元大阪代表の履正社を2−1で下し、県勢として23勝目をあげた。専大北上は国体にも出場して、第三位となる。
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| 平成10年 |
副会長に鈴木 白氏、富澤正一氏、監事に渡邊利光氏が就任。 第80回全国高校野球大会は記念大会であり、岩手大会の開会式では司会を女子生徒が行い、プラカードは盛岡白百合学園高校の生徒が担当した。 専大北上が2年連続優勝を飾り、全国大会では広島県代表の如水館と対戦、7回裏二死6−6のまま降雨コールドゲームとなり、
翌日再試合を行ない10−5で敗れる。 軟式野球でも専大北上が全国大会で2回戦へ進み、秋の国体にも出場した。 |
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| 平成11年 |
第81回大会では、春秋県大会に続き、盛岡中央高が初優勝を飾る。甲子園では福知山商(京都府)に6−2で敗れた。軟式選手権大会では盛岡一高が奥羽大会で初優勝を飾り、全国大会に出場。
8月、東北選抜チームがハワイ遠征親善試合を行い、岩手から伊藤聖(盛四)、小野寺啓真(大船渡)、松岡陽介
(一関一)の三選手が選ばれ随行役員として中里四志雄理事長が参加した。(4勝1分)
10月、全日本野球会議主催指導者講習会が盛岡で開催された。
役員改選が行われ、高橋馨会長の後任に木村昇氏(盛工)、熊谷守監事の後任に佐々木巧氏(花北商)が選出され、
他は再任。
加盟校 硬90 軟10
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| 平成12年 |
11月17日に連盟創立50周年記念式典を県民会館で挙行し記念講演で、『甲子園の心を求めて』と題して佐藤道輔氏が講演。また、連盟役員章を制定し、3月には記念誌『熱球・・・岩手の高校野球のあゆみ50年史』を発刊した。 第82大会開会式では連盟創立50周年記念として、岩手女子高生が合唱隊として大会に花を添え、専大北上高が 2年ぶり4回目の優勝を飾った。甲子園では、高知代表の明徳義塾高と対戦し3−0で敗れた。軟式でも専大北上高が奥羽大会を制し、2年ぶり2回目の全国大会出場となったが兵庫代表の育英高に5−0で敗れた。 今年度から実施された選抜21世紀枠の推薦校として、久慈商業高を推薦した。 役員補選が行われ、菅原新副会長の後任に長澤佳彦(一関一)、鈴木白副会長の後任に橋冨男(一戸)、中里四志雄理事長の後任に千葉春夫
(盛工)、千葉春夫事務局長の後任に藤澤義昭(盛工)の各氏が選出された。 加盟校 硬90 軟10
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| 平成13年 |
春季東北大会で専大北上高が決勝で学法石川高(福島)を5−4で破り、初優勝。(県勢30年ぶり)第83回大会では、春季県大会に続き盛岡大附高が5年ぶり3回目の優勝をした。甲子園では近江高(滋賀)に4−1と初戦で惜敗した。また、高野連活性化事業として高校生を甲子園研修生として全国大会に派遣した。 連盟規約の一部を改正して、強化委員会、記録委員会、審判委員会を設けた。 指導者研修会は10月末に花巻球場を会場にして実技講習を中心に行われた。11月には花巻で東日本理事長会議を本県主管で開催した。 役員改選が行われ、渡邊利光監事の後任に板橋政志氏(久慈商)が選出され、他は再任。 加盟校 硬90 軟10 |
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| 平成14年 |
第84回大会では、一関学院高が10年振り5回目の優勝を飾った。 甲子園では、1回戦鹿児島代表の樟南高と対戦し、わずか2安打で1-0と勝ち2回戦は、鳴門工(徳島)に5−3で惜敗した。秋の国体にも出場した。秋季東北大会では盛大附高が準優勝し、翌、平成15年第75回選抜大会に推薦され出場、横浜高校に10−0で初戦敗退した。 日本高野連の指導で県高野連本部と支部の会計を一本化した。 記録委員会より、会報「熱球」を創刊した。 役員補選が行われ、木村昇会長の後任に佐藤惇(盛工)、長澤佳彦副会長の後任に畠中祥夫(一関一)、富澤正一副会長の後任に相馬武彦(福岡)の各氏が選出され、他は再任。
加盟校 硬89 軟8
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| 平成15年 |
第85回記念大会は、会場を県営、花巻、雫石、一関、森山、軽米の6球場に拡大。 盛大附高が2年ぶり4回目の優勝をした。甲子園では福井商に延長10回8−6で惜敗した。 第76回選抜大会に秋季東北大会ベスト4の一関一高が「21世紀枠」で東北地区から推薦され出場した。 日本高野連より、イヤーオブザコーチで元大船渡工高監督熊谷勉氏、地方大会功労者として奈良憲光氏がそれぞれ表彰された。 役員改選が行われ、高橋冨男副会長の後任に板橋政志(盛商)、相馬武彦副会長の後任に川村祥平(岩泉)、板橋政志監事の後任に佐々木謙蔵(久慈商)、佐々木巧監事の後任に猪股良壽(金崎)、千葉春夫理事長の後任に香川博
(盛工)の各氏が選出され、他は再任。 加盟校 硬89 軟 8
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| 平成16年 |
第76回選抜大会に、一関一高が本県初の「21世紀枠」で出場、拓大紅陵に6−0で敗退した。また、東北地区から初めて4校(一般推薦2、21世紀枠1、希望枠1)が出場した。 第86回大会は、盛大附高が2年連続5回目の優勝。(準決勝、決勝でスタンドのファールボールをプレゼント。)
甲子園では明徳義塾に15−2で敗退。 春秋県大会の出場校数を2校増やし24校とする。 イヤーオブザコーチで元黒沢尻工業高監督城澤謙吉氏が表彰された。 役員補選が行われ、佐藤惇会長の後任に川原利夫(盛工)、畠中祥夫副会長の後任に内田正好(一関一)の各氏が選出され
他は再任。 選手権大会の参加料、地区補助金を廃止、65歳以上を無料とする。 加盟校 硬87 軟 8 |
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| 平成17年 |
軟式全国選手権50回記念の永年功労者で専大北上高監督高木敬蔵氏、イヤーオブザコーチで元平舘高監督矢野清氏がそれぞれ受賞した。 第87回大会は、花巻東高が15年振り、3回目の優勝をした。甲子園では樟南(鹿児島)に13−4で敗退。 技術研修会では、脇村春夫日本高野連会長が来県、初めて元プロ野球選手(森徹、種茂雅之、村上雅則、阿部健一、池谷公二郎の各氏)を講師として、指導者・生徒を指導していただいた。 秋季東北大会ベスト4の一関学院高が第78回選抜大会に「希望枠」で出場。岐阜城北に2−1で惜敗した。 岩手高野連が東北高野連事務局を担当、香川理事長が全国理事、選抜選考委員を兼務。役員改選が行われ、板橋政志副会長の後任に三浦雅男氏(大東)、多田正夫監事の後任に大石恭平氏(盛商)が選出され、他は再任。 65歳以上のフリーパス券発行。北上翔南高校初参加。 加盟校 硬86 軟 8 |
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| 平成18年 |
第88回大会は、専大北上高校が6年振り5回目の優勝。甲子園では福岡工大城東に4−0で敗退。 育成功労賞で、元盛岡北高監督佐々木忠彦氏が表彰された。 役員補選が行われ、佐々木謙蔵監事の後任に千葉春夫(雫石)、香川博理事長の後任に藤澤義昭(盛工)、藤澤義昭事務局長の後任
に中村明コ(盛工)の各氏が選出され、他は再任。 前年に続き東北高野連事務局を担当、藤澤理事長が全国理事、選抜選考委員を兼務。 秋季県大会出場校を28校とする。 加盟校 硬84 軟 8 |
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| 平成19年 |
第54回春季東北大会で一関一高が青森山田を5×−0で破り、県勢6年ぶりの優勝。第1回春季東北地区高校軟式野球大会を本県で開催。決勝で一関一高が0−1と羽黒高校(山形)に惜敗。 第89回大会で花巻東高が4×−3と専大北上高に逆転サヨナラ勝ち、2年ぶり4回目の優勝。甲子園では新潟明訓に0− 1と惜敗した。 育成功労賞で元盛岡南高校部長斉藤誠治氏が表彰された。 役員改選が行われ、川原利夫会長の後任に池田博男(盛工)、三浦雅男副会長の後任に千葉春夫(雫石)、千葉春夫監事の後任に板宮成悦(千厩)の各氏が選出され、他は再任。 地区割検討委員会が設置され、次年度から水北地区を北奥地区、気仙地区・沿岸地区を沿岸南・沿岸北地区と再編改称、紫波総合高校を盛岡地区から花巻地区、前沢高校を一関地区から北奥地区へ編入することを決定。 春季県大会の出場校を28校とする。 永年高野連の発展に尽力された顧問中里四志雄氏
(元理事長) 御逝去。 加盟校 硬83 軟 8 |
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| 平成20年 |
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| 平成21年 |
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| 平成22年 |
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