| 昭和60年 |
副会長に小田島清二氏、千葉宣夫氏、事務局長に中里四志雄氏、監事に石本良司氏、梅津公人氏、下村邦雄の各氏が就任。
第67回全国高校野球選手権大会では福岡が10度目の甲子園出場を果たす。初戦 の佐賀商戦6−4で惜敗。
一般入場料を500円とする。 |
| 昭和61年 |
副会長に千葉豊氏、監事に佐竹良吾氏が就任。
夏の選手権岩手大会を3年に1度、予選なしで全チームの参加で開催することとなる。
第68回大会はその最初の年のため、加盟83校が県大会に出場、一関商工が盛岡一を5−4で下し、2度目の全国大会出場を果たす。 |
| 昭和62年 |
理事長に渡辺興一氏、監事に鈴木寛氏が就任。顧問として長沢常人氏、山田 陸奥夫氏が選出された。
日韓親善高校野球試合が盛岡で行なわれ2−0で岩手チームが勝利した。 |
| 昭和63年 |
副会長に佐竹良吾氏、小田久雄氏、監事に伊東義一氏が就任。
夏の全国高校野球選手権岩手大会は第70回の記念大会を期して地区予選を全廃する。
全国大会には高田が初出場、初戦の滝川第二との試合が雨中戦となり、 8回裏2死、降雨によるコールドゲームとなり9−3で涙をのむ。 降雨コールドは実に56年振りの出来事であった。
秋季県大会への出場校を7校ふやして21校とする。遠野高校宮守分校が加盟し、加盟88校となる。 |
平成元年
(1990年) |
会長に石本良司氏、副会長こ昆野昭氏、監事に中浜清輝氏が就任。
春季県大会の出場枠数を14校から21校に拡大。
第71回全国高校野球選手権岩手大会では盛岡三が優勝、2度目の甲子園出場を果たす。
秋季東北大会が盛岡で開催され、盛岡工業がベスト4へ進出。 |
| 平成2年 |
副会長に戸羽親雄氏事務局長に花井裕一氏が就任。
7月6日岩手県高野連創立40周年記念式典を行い、記念講演会、 祝賀会を開催する。記念誌「熱球K」を発行。
第72回全国高校野球選手権岩手大会では花巻東が優勝し、 2度目の甲子園出場を果たす。
岩手大会中は降雨に悩まされ、4日間の日程延長となり、設定した準決勝戦前日の休養日も取ることができず。準々決勝の麻生一関対一関商工の試合は延長18回2−2の引き分けとなり翌日再試合を行うも、またしても4−4のまま延長となり、12回6−4で麻生一関がからくも勝利する。熱闘30イニングに及ぶ大一番であった。
秋季東北大会において一関商工がベスト4に進出。第63回の選抜大会補欠校に選ばれた。
岩泉田野畑分校の軟式から硬式への登録替により、硬式加盟校89校、 軟式11校となる。 |
| 平成3年 |
会長に千葉仁氏、副会長に遠藤弘氏、伊東義一氏、石川景三氏、 監事に東久氏、浪岡真雄の各氏が就任。
春季東北大会で一関商工が準優勝。
第73回全国高校野球選手権岩手大会の抽選方法を準フリー方式とし、 球場検討委員会を設置する。 大会では専大北上が初優勝し、全国大会において村野工業を3−2で下し2回戦へ進んだ。
秋季東北大会で宮古が準優勝。6月、花巻で東北地区審判講習会が実施され、日本高野連審判規則委員の三宅、相沢、桂の三氏の指導を受ける。
花巻南が新規加盟し、硬式加盟校90校となる。 |
| 平成4年 |
副会長に岩淵 守氏、理事長に小川隆弘が就任。
軽米を久慈地区から福岡地区に地区替をする。
第64回全国選抜高校野球大会に出場した宮古は星陵と対戦し強打者松井に2本のホームランを打たれ9−3で敗退する。春季東北大会、軟式奥羽大会が本県会場で行なわれた。
春日部共栄を迎えて招待試合を遠野球場で行なう。
第74回全国高校野球選手権岩手大会の決勝戦一関商工対専大北上は決勝戦初の延長戦となる。 10回5−4で一関商工が優勝。全国大会の1回戦、山口鴻城に5−1と 勝利し2回戦の神港学園に11−4で敗れた。 |
| 平成5年 |
副会長に高橋司氏、監事に橋本毅一氏が就任。
第75回全国高等学校野球選手権大会は記念大会。開会式において初代理事長、故松嶋真蔵氏を顕彰。
大会キャッチフレーズを公募、 「白球のもと75たびの夏に輝け岩手の球児」 (福岡高校 大瀧美苗さんの作品)が入選、表彰する。 |