岩手高野連沿革
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昭和50年 県北地区を福岡と久慈に分けて、全県を8つの地区とする。チームカの強化を めざして、招待試合を始め4月27日東海大相模来盛。
          盛岡一 1−7 東海大相模
          高 田 0−11 東海大相模
春秋県大会への代表校が8校から14校にふえる。
昭和51年 会長に渡辺文正氏が就任。
第58回全国高校野球選手権大会に花北商が初出場。
第21回全国軟式優勝野球大会に西和賀が奥羽代表として出場。準決勝戦まで進み静岡商業に1−0で惜しくも敗れた。 しかし、国体でも銚子商、平安の強豪を連破して決勝まで進み、準優勝に輝く。
秋季東北大会で準決勝に進んだ盛岡工業が選抜補欠校となる。
昭和52年 第59回全国高校野球選手権大会に黒沢尻工が出場、鹿児島商工を3−1で破り 2回戦まで進む。
夏に続き春の全国選抜野球大会にも黒沢尻工が出場したが箕島高校に1−0と惜敗する。
昭和53年 会長に瀧澤功氏、副会長に赤坂純雄氏が就任。
第60回全国高校野球選手権記念大会には盛岡一高が出場、初戦の報徳学園に7 −0で敗れる。
この年から全国高等学校野球選手権大会の出場枠数が49校となり、登録選手も1名増の15名となった。岩手大会では76校が出場。紫波町営球場を初めて使用 した。秋季県大会では紫波が初優勝を飾る。
加盟金及登録料を2000円値上げして、それぞれ3000円とする。一般の入場料を150円から200円とした。
昭和54年 第61回全国高校野球選手権大会に久慈高が初出場。浜田高と対戦したが12−3で敗退。
岩手大会4日目、雨の中で3時間25分に及ぶ死闘をくりひろげた住田−福岡の泥まみれの好試合はさまざまな話題をよんだ。
秋季東北大会で準決勝に進んだ福岡が選抜補欠校となる。
入場料を改定して、一般300円、高校生100円、小中生50円とする。
昭和55年
(1980年)
副会長に菊池武氏、鈴木和夫氏が就任。
岩手県高野連創立30周年記念行事として石井連蔵氏による野球講習会を実施。7月8日に記念式典を行い、記念誌「熱球」を発刊。
第62回全国高校野球選手権大会には福岡が出場、1回戦で大分商業に4−2で敗れる。
昭和56年 会長に小原房之助氏、副会長に千田玄氏、理事長に奈良憲光氏、事務局長に目時敏照の各氏が就任。
第13回日米親善高校野球試合が盛岡で行なわれ、ハワイチームが来盛。オール岩手(盛岡選抜)が対戦し2−0で敗れたが大いに国際親善を深めた。
第63回の全国高校野球選手権大会には盛岡工業が初出場、この大会の優勝校報徳学園と対戦し9−0で敗れる。
日本高野連の氷見一雄事務局長の来盛により、岩手高野連野球指導者講習会が実施された。
昭和57年 春季県大会の出場校14チームヘ夏の選手権岩手大会の地区予選に参加せずに県大会への出場権を与えた。
第64回全国高校野球選手権大会は県営球場が改修工事のため盛岡市営及紫波町営の両球場で行なわれた。盛岡工業が二年連続の優勝を飾り、全国大会に出場 したが福井商業に4−2で惜敗。
入場料を一般400円、学生200円、小中生を100円とする。
昭和58年 副会長に沼田晃氏、千葉條助氏が就任。
東北新幹線の開通に伴ない、第1回岩手埼玉交流高校野球試合が行なわれ、大船渡と盛岡工の2校が西武球場での試合に出場。
第65回の全国高校野球選手権岩手大会は大改修なった県営球場を中心に雫石、 紫波、市営の4会場で行なわれた。全国大会には黒沢尻工が出場2−0で佐世保工に敗れた。
第36回秋季東北大会が盛岡市で開催、大船渡が初優勝を飾る。
昭和59年 会長に木皿欣一氏が就任。
第56回全国選抜高校野球大会に大船渡が出場。多々良学園を4−0、日大三島を8−1、明徳義塾を1−0と下し、準決勝まですすみ、岩倉に1−2で惜敗。 大船渡の四番、鈴木嘉正選手が2本のホームランを打つ。第66回全国高校野球選手権岩手大会においても大船渡が優勝。春の選抜に続いて甲子園へ出場。