| 昭和30年 |
第27回選抜高校野球大会に一関一高が出場(東北から初出場)。兵庫県立尼崎高校と対戦し5−0で敗れる。
3月19日から神宮球場で開催された第9回日本学生野球協会結成記念大会に秋季東北大会準優勝校の盛岡商業が出場。3−0で荏原に敗れた。
第37回全国高校野球選手権奥羽予選が盛岡で行なわれ、岩手高校が優勝、全国大会に出場し、法政二高に3―0で勝利。
東京六大学の公式審判員が来盛。模範を示し、審判技術の向上をはかった。 |
| 昭和31年 |
会長に桐野 薫氏が就任。高野連事務局を盛岡工業高校に移転する夏の選手 権大会では盛岡一高が黒沢尻工を8−3で下し優勝。奥羽大会では黒沢尻工がよく健闘したが準決勝でハ戸に敗れた。
秋には黒沢尻工が優勝、東北大会でも準決勝に進んだ。
この年の加盟校は、硬式39校、軟式11校であった。 |
| 昭和32年 |
第11回日本学生野球協会結成記念大会に黒沢尻工業が出場。
第39回全国高等学校野球選手権奥羽予選では岩手大会の準優勝校、黒沢尻工業が優勝し全国大会に出場したが宿舎で選手が腹痛をおこして心配された。対大阪代表の寝屋川高戦で善戦むなしく3−1で敗退。 |
| 昭和33年 |
理事長に小林正行氏が就任
野球部長の表彰を始める。
第30回全国選抜高校野球大会に遠野高校が出場。
第40回の夏の選手権大会は記念大会のため各県一校の出場となり、本県代表として福岡高校が出場したが紀和代表の海南高校に14−1で敗れた。
第3回軟式全国大会に黒沢尻工業が出場。 |
| 昭和34年 |
全国高等学校野球選手権大会の二次予選地区が岩手・青森の2県となり、「北奥羽大会」という大会名称となる。
岩手・青森の優勝校が代表決定戦を盛岡で行ない、宮古高校が八戸高校を破り全国大会に出場した。 |
昭和35年
(1960年) |
7月、会長の桐野 薫氏が岩手県教育委員となる。
夏の選手権北奥羽大会は岩手・青森両県各2校づつ出場することとなり県予選の決勝戦は行なわれず。宮古と一関一の両校が北奥羽大会に出場し共に惜敗。
第13回東北六県秋季高校野球大会が10月釜石市において開催され、岩手県から宮古高、北上商高、釜石工高の3校が出場。 |
| 昭和36年 |
会長に加藤駿二氏が就任。第15回日本学生野球協会結成記念大会に宮古商業が出場。土浦高に4−2で 勝ち、準決勝戦で富山商に5−4と惜敗。
第43回全国高校野球選手権北奥羽大会では福岡高校が優勝して全国大会に出場。釧路江南に7−6で勝利、準々決勝戦、桐蔭高校(この年の準優勝校)に5−0で敗れる。その試合で県勢チームが初のナイター試合を経験。
県内の大会では、盛高校、花泉高校をはじめ新勢力の台頭が目立った。 |
| 昭和37年 |
第34回全国選抜高校野球大会に宮古高校が出場。松山商に延長15回の末に4 −3で惜敗。
6月、第9回東北六県春季高校野球大会が盛岡で開催されたが、降雨のため に準決勝以後の試合を中止した。 |
| 昭和38年 |
初代事務局長に鈴木和夫氏が就任、事務局規定が新設された。
夏の選手権大会は、45回の記念大会のため各県一枚の代表であり、花巻北高が出場する。開会式で花巻北高の小原千秋主将が選手宣誓を行った。 |
| 昭和39年 |
事務局長に佐々木淳夫氏就任
第46回全国高等学校野球選手権大会に花巻商業高校が初出場。玉龍高を3− 1で下し、2回戦の高知商(その年優勝)に3−2と惜敗。花巻商の阿部投手は大会随一と賞讃された。 |